# 1
──やばい・・・。これ、絶対やばいって。
昼下がりの新宿。 フラフラと歩きながら、裕之はぼやき通しだった。
もう三月だというのに、何をトチ狂ったのか、猛烈に雪が吹雪いている。 寒いなんてもんじゃない。風が痛い。 綿シャツの上から、ダウンジャケットを羽織っただけでは、 とうてい防ぎきれそうにない寒さだった。 その上・・・・・・。
(チクショー。腹減ったなー。オレ、何日食ってないんだろう)
家を飛び出したのが、一週間前。 四、五日は所持金で食いつないだが、今はそれも底をついた。 これといって頼れる友人もいない。 ましてこのご時世。 身元不明の高校生に、手をさしのべてくれる人などいるワケがない。 おまけにその高校も、二年に進級できるかどうか、 すこぶる怪しいところだった。 いや、学校のことなど今はどうでもよかった。 とりあえず今は、命があぶない。
(帰ろっかな・・・家へ・・・)
思わず立ち止まって考えた。 このまま交番にでも行けば、おそらく家に連絡をしてくれるだろう。 帰りの電車賃も、貸してもらえるかもしれない。 だが・・・・・・。
(あーもう、何考えてんだ!あーやだやだ。 あんな家、ぜーったい帰るもんか!)
帰るくらいなら、野垂れ死にした方がましだった。 軽く首を振ると、また、あてもなく歩き始めた。
いつもは大勢の人で賑わう新宿も、こんな日は人影もまばらだった。 それも、夜が深まるにつれ、より一層、数少なく、 ますますわびしさがつのってくる。 誰も彼も背を丸めて、雪を避けるように、足早に通り過ぎていく。 ポケットに手を突っ込んだまま、うつむき加減に歩く裕之に、 声を掛けてくる大人は、一人もいなかった。
「おい!気ぃつけんかい、にいちゃん!」
突然、ダミ声で怒鳴られた。 慌てて顔を上げると、見るからに怪しげなサングラスの男が、自分を見下ろしている。 どうやら、フラフラ歩いているうちに、ちょっと、ぶつかりでもしたらしい。 あっという間に裕之は、人相極悪のヤカラ4,5人に取り囲まれてしまった。
「人にぶつかっといてよ、アイサツはどうしたんだよぉ」
そう言いながら、ガッと裕之の胸倉をつかむ。 吐く息が、酒くさい。 他の連中からも、酒の匂いが強烈に漂ってくる。
(酔っ払いか・・・。めんどくせぇな・・・)
意気揚々と臨戦態勢に入る男達を見ても、 裕之には、抵抗しようという気が全く起こってこなかった。 周りの全てに現実感が無く、自分のことですら、 どこか遠くから眺めているような気持ちになっていた。 そんな投げやりな態度が、男達にはふてぶてしく見えたのだろう。 胸倉をつかんでいた男がいきなり、腹にケリを入れてきた。
「・・・・・グッ!」
うめいたものの、不思議と痛みは感じなかった。 感覚さえも、遠いものになってしまったらしい。 連中は、裕之が抵抗しないと見て取ると、好き放題殴り始めた。 二、三人程、そばを通りかかったが、誰も止めようとはしない。 さわらぬ神にたたり無し。とばかりに、皆そそくさと逃げていく。 もっとも、裕之に助けを求める気など、これっぽっちもなかったが・・・。
いったい、何発目だったのか。 首筋をガツン!と殴られ、そのまま雪の上に崩れ落ちた。 ようやく、連中の一人が止めに入った。
「ふん!」
サングラスの男がもう一度、裕之の胸倉をつかむと、 まるでゴミ袋を放り投げるかの様に、すぐ後ろのシャッターに叩き付けた。
グゥワッシャーン!!
シャッターにぶつかった途端、つもった雪に足を取られ、 ズトンと、座り込んだ。
「チッ!みんな、飲み直しだ。いくぞ!」
ヤクザ風の男共は、そんな裕之に目もくれず、立ち去っていった。 突然、辺りに静寂が戻ってきた。 先程まで騒々しかっただけに、よけい静かに感じる。 夜の闇も、一層深まってみえる。 裕之は、しゃがみこんだまま、動こうとはしなかった。 口元から、血が流れ出している。 いや、口元だけでなく体中キズだらけで、 動きたくても動けない状態であることが、自分でもよくわかっていた。
(・・・・・・誰かに助けてもらわないとダメだな)
いくら他人に無関心な都会でも、119番を押しさえすれば、 すぐにでも救急車は来てくれる。 でも、もう、そんなことはどうでもよかった。 いまは、指一本動かすのも面倒くさい。
(あーオレ、このまま死ぬのかな・・・・・)
ぼんやり、そう思う。 しかし、やっぱり人事みたいで、まったく恐怖は感じ無かった。
(あっでも、オレって血だらけじゃん。ちぇっ、やだなー。 カッコわりぃーな・・・・・これじゃまるっきし、ホームレス)
相変わらず、雪は降り続いている。 いっこうに止む気配を見せず、容赦なく、裕之に吹きつける。 狂ったように舞う雪をじーっと見ていると、急に眠気が襲ってきた。
(・・・・・あー眠い)
まぶたがゆっくり、ゆっくり閉じていく。
(・・・どうせなら”マッチ売りの少女”がいいな。うん。 ・・・・・死ぬんなら、いい夢見ながらのほうが、いいもん・・・・・)
ふいに、裕之の脳裏に、ある女の人の顔が浮かんだ。 その人は、ひまわりのように、キラキラと笑っている。
--─ひろゆき。どうしたの?
そう言って、いつも白い手を差し延べてくれていた人。
(・・・か・・・・・さん・・・)
そうつぶやくと、裕之は底知れぬ暗闇の中へ、、 ひきずり込まれていった・・・・・。
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