#10
・・・・・・誰かが慰めてくれている。泣いているオレを・・・・・・。 眠りの中で裕之は、頬を優しく撫でる手のぬくもりを感じていた。
――どうしたの?ひろゆき。泣いたりして。さぁ・・・こっちへいらっしゃい。 ――うん。
そうやって、優しく抱きしめてくれる人がいた。 そうされると、イヤな事もツライ事も何もかも忘れて ずっと安心していられた。
――か・・・あ・・・さん・・?
だが、今自分に触れている手は、どこかいつもと違っていた。 安らぎよりも切ないまでの苦しみが伝わってくる。
――かあさんじゃない・・・。じゃあ、だれ?かあさんはどこにいる? ・・・いない・・・どこにもいない・・・・・・。
気が付くと、慰めてくれていた誰かの気配も消えていた。
――いない・・・誰も。オレを一番に愛してくれる人はどこにもいない・・・。
「あ・・・・・・・・・・」
悲しくて目が覚めた。 頬に冷たいものが流れている。 それで自分が夢を見ながら泣いていたことに気づいた。
(うわ〜〜。オレ、ガキみてぇ。かっこわりぃ〜〜)
照れくさそうな苦笑いが顔に浮かぶ。 詳しいことは憶えていなかったが、 とんでもなくイヤな夢を見ていた事は確かなようだ。 まだなんとなく、悲しみで心が重い・・・。 はぁ〜〜と、大きく息を吐くと、勢いよく頬の涙を拭い、 ベッドから身を起こした。 窓の外はまだ暗い。 枕もとの時計に目をやると、4時を少し回った所だった。
(まだこんな時間なんだ。どうしよっかな。もう一眠りするか・・・)
そんなことを考えながら、前髪を掻き揚げようと額に手を当てた瞬間、 頭に激痛が走った。
「・・・ッ!いってー!!なんだこれ!?・・・て、あ〜〜〜っ!!」
その激痛で、瞬時に夢の名残は吹き飛び、一気に昨夜の記憶が蘇ってきた。
(そうだ!オレゆうべ田島のヤローに襲われて、 んで、シャワー浴びて、そのまま寝ちまったんだ!)
思い出すと、腹の底から怒りが活火山のように、フツフツと湧き上がってくる。
(あんのヤロー、よくもあんなエゲツない真似を! オレにケガまでさせといて、なんだよ!あの偉そうな態度!! だいたい、あの時八神さんが帰ってこなかったらどうなってたと・・・)
そこまで考えて、また、ゾワ〜〜っと全身に鳥肌が立った。 みぞおちの辺りがぎゅっと締め付けられて、喉にも苦いものが込上げて来る。
(わっわっわっ!か、考えるのはよそう!やめよう!!やめるんだーー!!)
必死で忘れようとしても、田島に触れられた首筋の辺りに、 這い回る唇の感触が蘇ってきて、裕之は叫びそうになった。
(うぎゃあ〜〜〜!!)
纏わりつく何かを振り払うように頭を振ると 首筋の辺りを掻き毟った。
(だ、だめだ!もう一回、シャワー浴びてこよ・・・)
バリバリと音を立てて首筋を掻きながらベッドから降りた。
(あれ?)
その時になって、初めて衝立の向こう側、 アトリエに明かりが点いていることに気が付いた。
(八神さん起きてんのかな?夜は光の加減がよくないからって、 絵は描かないって言ってたけど・・・)
衝立の端に手を掛けて顔だけ覗かせると、アトリエの様子を伺った。 イーゼルの前に八神が静かに立っている。 デッサン用の木炭を手にしているが、何かを描いている様子ではなかった。 ふと、気配を察したのか、八神がゆっくりと裕之の方へ顔を向けた。
「あ・・・あの・・・・・・」 「・・・・・・・・・・」
妙に緊張感のある沈黙が数秒続いた後、八神はニッコリ微笑んだ。
「悪いね。起こした?」 「いや・・・。オレついさっき、なんか急に目が覚めて・・・」 「そう・・・・・・」
八神は俯いて何かを考えているようだったが 顔を上げると、また、裕之に微笑みかけた。
「キズは大丈夫?動けるかな?」 「あ、うん・・・。ぜんぜん大丈夫・・・だけど」 「じゃあ、一緒にリビングの方に来てもらえるかな」
八神が手にした木炭で、一階にあるリビングを指した。
「は・・・い」
何だろう?と不安に思いながら、衝立から手を離して、アトリエに足を踏み出した。 フローリングの床は冷え切っていて、冷気が足に染み込んでくる。 一歩一歩、その冷たさを感じながら、裕之は八神に近づいていった。
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