#11
自分からリビングに誘っておいて、八神はなかなか話を切り出そうとしない。 裕之にとってなんとも居心地の悪い時間が流れていった。 こうして八神と向き合っていると、 “あんなところを見られた” という思いがして、恥ずかしくてしょうがないのだ。 裸同然で縛られていた姿を見られたうえに、 田島にケリを入れて、勝手に一人で大泣きして・・・。 裕之としては、危ない所を助けてくれた礼を、真っ先に言わなければならないのだが、 恥ずかしさが先にたって、なかなか言葉が出てこない。 それでもここはちゃんとお礼を言わなくては・・・と心に決めた時、 やっと八神が重い口を開いた。
「・・・昨夜はすまなかった。君をあんなひどい目にあわせてしまって・・・」
先に八神に謝られて、裕之は戸惑ってしまった。
「そんな・・・。なんで八神さんがあやまるんだよ。悪いのはあのヤローで・・・」 「田島が君にあんなことをしたのは、全部僕のためなんだ。僕を気遣って・・・。 ・・・悪いのは田島じゃない。僕なんだ。 こうなることくらい、予想できたはずなのに・・・」 「だってそんな・・・・・・。オレわかんないよ。 八神さんはオレのこと、あのヤローから助けてくれたんだろ? オレみたいなヤツでも何にも聞かないで、ずっと居候させてくれて・・・。 なのになんで八神さんが悪いんだよ?」
思いもかけなかった八神からの謝罪の言葉。 裕之には、八神が一体なにを考えているのかさっぱりわからない。 しかし、八神がこれからなにか大事なことを自分に話そうとしていることだけは、 なんとなく雰囲気で感じ取れた。
「田島は君が・・・江里佳に似ているって言ったんだろ?」 「う・・・うん」
確かに田島はその名前を何度も口にしていた。
「江里佳は・・・・・・僕の奥さんだったんだ」 「えー!?」
全く予想もしていなかった話を聞かされて、裕之は真剣に驚いていた。 驚きすぎて、“だった” という八神の微妙な言い回しに気づかないでいる。
「・・・奥さんいるんだ。八神さんって」 「まあ・・・ね。ちょうど三年前かな。雪の日にね、僕らは出会ったんだ」
その日のことを思い出したのか、八神の顔に柔らかな笑みが浮かんだ。
「まだ美大に通っていた頃、大学の帰りに買い物しようと新宿に行ったら 人ごみに紛れて泣いている江里佳を見つけたんだ。 こんな雪の降る日に、いったいどうしたんだろうって思って声をかけたら 『友達とはぐれてしまったんです。・・・ここがどこかもわからなくて』 って、ほんとに心細そうでね。 心配になって、近くの駅まで送りましょうかって言ったら 『ありがとう!』 そう言って、ほんとにうれしそうににっこり笑ったんだ。 ・・・それで僕は一目で恋に落ちた」
その瞬間の八神の気持ちが伝わってくるのか、 なんだかこちらの胸までドキドキと熱くなってくる。
(へー。そんなドラマみたいな恋ってあるんだな。なんだかうらやましい〜)
それにしても・・・・・・。 その “江里佳” は、いったい今どこに居るのだろう? ここへ来てから一度も会ったこともないし、 どの部屋にも写真が飾ってあった記憶がない。 第一、よく考えたら田島の口以外から、 その名を耳にしたことが無いような気がする・・・。 なんとなく暗い予感がよぎる中、裕之は八神の思い出話に耳を傾けた。
「お互いまだ大学生だったけど、待ちきれなくて僕らは結婚したんだ。 でもそれからすぐ僕は世界的な賞を貰って、 あっという間に忙しくなってしまった。 ほとんど海外に行ったままで、 たまに家に帰ってもアトリエにこもりっきりで・・・。 まったく江里佳のことを省みてあげられなかった。 ・・・いや、省みようともしなかったんだ・・・・・・」
そう言うと八神は苦しそうに眉をひそめて、俯いてしまった。 ひざの上で組まれた長い指に、額を乗せて何かをじっと耐えている。 その姿はなんだか懺悔でもしているように見えた。
「・・・そうなったら、もうお定まりのコースだった。 お互い相手を責めるばっかりで・・・毎日毎日、言い争いばかりして・・・。 そんな日々が半年くらい続いた挙句・・・・・・江里佳は、 ・・・亡くなったんだ・・・・・・」 「えー!!な、亡くなったの!?」
その時になってやっと、 先ほど八神が“だった” という過去形を使っていたことに気が付いた。
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