# 3
「やあ、起きてたんだね」
その声は、どこまでも穏やかだった。 雰囲気にもどことなく、上品な穏やかさが漂っていて、 少し長めの髪を掻き揚げる仕草も落ち着いて、板についている。 背は180CM以上はありそうな長身。 その上に、なかなか整った顔が乗っている。 ただ、その穏やかさのせいか、長身のわりに威圧感は無かった。 先程から、裕之を静かにじーっと見つめていたが、 何か言おうと、焦っている様子を察して、ニッコリと微笑んだ。 その笑顔に釣り込まれるようにして、裕之は口を開いた。
「あの・・・オレ、どうしたんでしょう」
それを聞くと、彼は壁にもたれて、クスクスと笑い出した。
「え・・・?なに・・・あのぅ〜えーと」
次の言葉を一生懸命探している裕之を、 彼は相変わらず余裕で見つめている。
「いや。ごめん、ごめん」
そう言いながら、まだクスクス笑っている。
(何、笑ってんだよ・・・)
ちょっとムッとして、改まった口調で、もう一度はっきりと聞いた。
「あの、オレ、どうしたんですか!?」
裕之の態度の変化に気づいたのか、彼はようやく笑いを納めた。
「・・・どうも、失礼。 いや〜、君の態度が、あまりにも素朴だったんで、つい」 「ついって・・・」
戸惑いが裕之の顔に浮かぶ。
「これが、昨日ヤクザ相手に、大ゲンカした人間とは思えないな」 「えっ!!じゃあ、このケガは・・・」 「その通り。君は昨日の夜、新宿でヤクザ連中に、ボッコボコに殴られた」
なんだか、段々その先を聞かないほうが、いいような気がしてきた。
「そのあげく、僕の居た画廊のシャッターに叩き付けられて、気を失った。 おまけに、もう少しで凍死するところだった」
(ひえ〜!は、はずかしい!!)
「ほんと、あの時は驚いたな。 昨夜は画廊を閉めた後、中で友達二人と、一杯飲んでたんだ。 夜も更けたし、そろそろ帰ろうと思ってシャッター開けた途端、 ゴロンって人が転がり込んできてさ。 もう、てっきり死体だと思ったよ」 「そ、それはどうも・・・」 「表が騒がしかったから、ケンカしてるなーとは思っていたけれど、 まさか自分が居る画廊の前に死体を置いていくなんて・・・と、途方に暮れたよ」
死体という言葉が、グサグサと裕之の胸に突き刺さる。
「で、放っておけという意見も出たんだが、僕はそうもいかないと思って、 画廊に担ぎ込んだんだ。そうしたら、ちゃんと息しててさ」
(・・・そりゃそうだろ・・・)
「幸い友達の一人は、医者だったんで、応急手当をしてもらって、 その後、僕の家へ運び込んだ・・・というわけ」 「それは、どうも・・・すみませんです・・・」
そう謝りながら、きっと次に身元やらあれやこれやと聞かれるだろうな、 と覚悟を決めた。
「それで、君の名前は?」
そらきた、と思ったが、ここまで世話になって、 黙っているわけにもいかなかった。
「・・・蒼麻・・・裕之」 「ふ〜ん。裕之か。 じゃこれから君の事を、ヒ・ロ・ユ・キちゃ〜んって呼ぼうかな」 「!!??」
鳥肌が立った。
「あ、そうそう。僕は八神秀一。これでも一応、画家をやってるよ」 「は、はぁ、そうですか・・・」 「まぁ、そのケガが治るまで、何日居ても僕はかまわないから。 気楽な独り暮らしだし、君さえよければ、ゆっくりしていくといいよ。」 「えっ!?・・・あっ、どどうも・・・」 「じゃあそういうことで。君の状態も落ち着いてるようだし、 僕はこれから画廊に顔出してくるけど、夕方には帰ってくるから、 それまで好きにしてるといいよ。 水と軽食はそこのテーブルに置いといたし、もし降りれそうだったら、 下のキッチンにも何か食べ物があったと思うよ・・・」
八神はそれ以上、何も聞こうとはしなかった。 裕之は、ホッとするより肩透かしを食らわされたような気がした。
「あの・・・」 「はい?なんですか」 「あのですね。自分で言うのもなんですけど、 オレ、身元不明の高校生ですよ。 そんなヤツ、一人で置いといていいんですか?」
それを聞くと八神の顔に笑みが浮かんだ。
「大いに結構だよ。どうせこの家、広いだけでなーんにもないから。 第一そのケガじゃ、階段下りるのがやっとだろ」
言われてみれば、その通りだった。 このケガでは、ろくに動けそうもない・・・。 裕之がバツ悪そうにしていると、 八神の目がいたずらっ子のように光った。
「実は、一つだけ気がかりな事があるんだ。 ・・・君のケガのことなんだが・・・・・・」 「え・・・!?オレのケガ・・・なに・・・か・・・」
裕之の顔に不安が走る。
「僕の友達は医者だと言ったけれど、 実は・・・医者は医者でも、馬専門の医者なんだ」 「えぇーっ!!う ・ まーっ!?」 「そうそう。でも、心配することはないよ。 腕は日本競馬協会のお墨付きだから!」 「・・・いやでも、それは・・・その、ちょっと、オレは人間だし・・・」 「アハハハハッ!・・・うそだよ。うそうそ!」 「・・・へ?うそって・・・」
八神は笑いながら、ドアノブに手をかける。 そのまま扉を開けて出て行こうとして、フッと裕之の方へ振り返った。
「本当はね。産婦人科医なんだ」
その言葉を残して、八神はドアの向こうに消えた。 閉まったドア越しに八神の笑い声と、 階段を下りて行く足音が聞こえてくる。
(何なんだよ!?アイツ!いったいどういうヤツなんだよっ!!)
裕之の不安をよそに、窓の外からは、相変わらず、 早春の柔らかな日差しが降り注いでいた。
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