# 4 

 

あっと言う間に一週間が過ぎて行った。

不思議な事に、八神は裕之の事情を、何も聞こうとはしなかった。

裕之もそれをいいことに、ちゃっかり居候を決めこんでいる。

もっとも、八神の方も自分の事は何一つ、話してこなかったが・・・。

 

今、裕之に分かっている事は、ここが都内の高級住宅街で、

かなり広めの家に、一人暮らしをしているらしい事。

友人の出入りは結構あって、その友人達の話から察するに、

八神は世界的に期待されている、新進気鋭の画家であり、

今も友人の画廊で個展を開いている事。

それくらいで、八神の家族や身内の事は一切、分からなかった。

 

 

裕之の傷は、初期の手当てが良かったおかげで、順調に回復していた。

もっとも、外出するのはまだ無理のようだが・・・。

しかし、寝たきりと言うほどのこともないので、

2,3日前から、八神の調達してきたこざっぱりした服を着込んで、

一階のリビングルームに居座るようになっていた。 

今日も昼過ぎに起きると、ボーっとリビングルームでテレビを見ていた。

 

 「やぁ!不良少年。まだ居たのか」

  

突然の大声に、ソファーの上で半ば眠りかけていた裕之は、

真剣に飛び上がった。

 

(・・・にゃ、な、なんだよ!)

  

慌てて振り向くと、いつの間に入ってきたのか、裕之のすぐ後ろに、

田島恭助が意味ありげな笑みを浮かべて立っていた。

田島は真夜中にもかかわらず、裕之の手当てをしてくれた医者である。

 

──彼は本当に優秀な産婦人科医だった。

 

八神とは幼馴染らしく、家への出入りも、まったく自由だった。

居候の裕之にとっては、二重にも三重にも礼を尽くさねばならない人物なのだが・・・。

  

(うっわっ、田島のヤローだ〜!)

 

 一瞬にして顔が凍ったが、慌てて取って置きの作り笑いを浮かべた。

  

「あ・・・ど、どうも」 

「ずいぶん、元気になったようだな」

  

田島の方も口元は笑っているが、目がとてつもなく剣呑だった。

  

「まあ、手当てをした医者としては、これほど喜ばしいことはないね。

いやいや。よかったよかった」

  

そんなやさしげな言葉とは裏腹に、田島は冷たく裕之を上から見下ろしている。

  

(なんだよー、やめてくれよ。何でそんな目で見るんだよ!)

 

何でも田島は学生の頃、ラクビーをやっていたとかで、

背も高く、体格もがっしりしている。

165cmあるかないかの裕之は、こんな風に見下ろされると、

内心びくつくものがあった。

  

「ふん。もっともその年じゃ、手当てなんぞしなくても、勝手に治っただろうがな。

野良猫みたいに、舐めときゃ治ったんじゃないのかね」

  

(またかよ・・・・・・)

  

どういうわけか、彼は初対面の時から、裕之の顔を見るたびに、

おもいっきり棘のある言葉で、事あるごとにいじめてくるのだ。

おかげで、命の恩人に感謝しようなんぞという気持ちは、

裕之の中からとっくに吹っ飛んでいた。

 

 「・・・・・・」

  

もはや、作り笑いを維持する気力も失せた裕之は、フイッと横を向いた。

  

「まーったく、若さっていうのは最高の特効薬だよな!」

  

そう言うと、田島はまだ完治していない裕之の肩を、ポンッと叩いた。

  

「いってー!!」

  

裕之は思いっきり顔をしかめると、田島を精一杯、睨み付けた。

しかし、田島の方は一向に気にする様子もない。

裕之の向かい側のソファーに、悠然と腰を掛けると、

テーブルに乗っていた新聞を、つまらなさそうにゆっくりめくっていった。

 

 

テーブルを挟んで、妙に緊張した空気が、二人の間に流れていた。

裕之は、席を立つタイミングを、完璧に外してしまったことに気づいた。

こうなったら、先に立ち上がった方が負けのように思えくる。

しかし余裕たっぷりの田島と違って、裕之は段々緊張に耐えられなくなってきた。

 

(クソ〜〜負けるもんか!)

 

とにかくここは一息いれようと、ポケットからタバコを取り出すと、慣れた手つきでタバコに火を点けた。

いざ吸おうと大きく息を吸った、その瞬間。

フッと指先からタバコが消えた。

  

(・・・えっ・・・・・・)

  

思わずボーっと、指先を見つめている裕之の耳に、田島の声が飛び込んできた。

  

「タバコはお肌に良くないぜ。青少年!」

 

 からかいを含んだその言葉に、慌てて田島の方へ顔を向けると、

つい先程、奪われたばかりのタバコが、田島の指先でゆっくりと煙を吐いていた。

  

「・・・何すんだよ。八神さんからは、何も言われたことないぞ!」

  

田島は、完璧に見下した表情で裕之を見ると

芝居気たっぷりに、タバコを灰皿に押し付けた。

  

「あいつらしいと言えば、あいつらしいな。

しかしだね、私は医者の一人として、君にはあまり、お薦めできないな」

「うっせーな!おやじ!!」

  

裕之は音を立てて、ソファーから立ち上がった。

  

「オレの体はオレのもんだ。

あんたなんかにゴチャゴチャ言われる筋合いはねーよ!」 

「いや、別にどうでもいいことなんだよ。私には。

ただね君、それ以上背が伸びないと、

これから先、何かとつらいんじゃないかと思ってさ」

  

裕之は言葉に詰まった。

  

(チクショウ〜。人の一番気にしている事をー!)

  

裕之はふてくされて、ドスン!とソファーに腰を下ろした。

単純に悔しがってる裕之を見て、田島がニヤッと笑う。

  

「ま、しかし君の場合、それだけ可愛い顔をしてりゃ、

養ってくれる奴がいっくらでも現れるだろうがな」

「・・・なんだよそれ!どういう意味だよ。

オレは女に養ってもらうのなんて、絶対やだからな!!」

「ふんっ。・・・まあ、そういうことにしておいてやろう。

ところで、八神は家に居ないようだが、いったいいつ頃帰って来るんだ?

これ以上君とくだらん話をしていても、時間がもったいないだけだからな」

 

田島の言葉は、これでもかと、裕之の感情を逆なでする。

  

「知らねーよ!!画廊に行くって言ってたから、そのうち帰ってくんだろ!」

「画廊か。じゃ、七緒子も一緒かな」

  

七緒子とは、若手のコラムニストで、田島と同じく八神の幼馴染の一人。

後から八神に聞かされたのだが、

あの雪の日、先頭に立って裕之を助けてくれたのが彼女だった。

 

「ふ〜ん。七緒子が一緒じゃ、今日はまた酒盛りだな」

  

その言葉とほとんど同時に、玄関の方で、明るく澄んだ女性の声が響いた。

  

(あっ、七緒子さんの声だ・・・)

  

裕之の胸がきゅーんと締め付けられた。

ドア越しに二人の会話が聞こえてくる。

  

「頭にきたわ!何よ。あのじい様のコラムは。いったい何見て何聞いてるのよ!」

「アハハ。君にかかったら、大物政治評論家もボロボロだね」

「だって、秀一は・・・」

 

 リビングのドアが勢い良く開かれた。

  

「あらっ、裕之君。大分、元気になってきたみたいじゃない?良かったね!」

  

七緒子は裕之を見るなり、そう声を掛けると、ニッコリ微笑んだ。

  

「ホント、雪の日に血だらけで転がっていたのを見たときは、

どうなるかと思ったけど。

よかったよかった。元気になって」

「・・・あはは・・・」

  

裕之はちょっと、照れたような笑いを浮かべた。

  

「でもいいね。若いって。傷とかすぐ治るんだもん。

もう少しで外にも遊びに行けそうね。

そしたら、どこか連れて行ってあげようか?」

  

裕之は、いつもの何気ない七緒子の一言一言が、

やわらかく胸に染み込んでくるような気がした。

同じようなことを言っても田島のヤローとは、大違いなのだった。 

 

 

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