# 5
八神の友人達が来ると、裕之は居候という立場上、人の視線も気になるし、 どうしても気詰まりで、さりげなく席を外すことにしている。 だが、七緒子が来ているときだけは別だった。 もちろん、大人の話に混ざっていけるわけではない。 だいたい、コラムニストの七緒子の話は、いつも専門的で難しい。 裕之にはさっぱり、理解できないのだ。 それでも七緒子の声を聞き、笑顔が見られれば、それで大満足なのだった。
そんなわけで、今夜もリビングに居座ることにした。 八神の横のソファーに腰掛ける。 テーブルを挟んで自分の目の前が、田島だというのは気に食わなかったが、 その隣に座る七緒子を見つめるには、絶好の位置だった。 七緒子の話は、今日も難しすぎてさっぱりわけが分からないが、 裕之は熱心に耳を傾けていた。
それにしても、田島は飽きることなく、 突き刺すような視線を、裕之にぶつけてくる。 どうせにらみ返したところで、迫力負けするのは目に見えている。 裕之はこれ見よがしに、まったく気にしていない風を装っていた。 そう。田島なんぞ、どうでもいい。 今は七緒子のそばに居ることが、一番大事なのだ。
(・・・本当にきれいなひとだな・・・)
裕之はチラッチラッと、さりげなく、七緒子の横顔に目を向ける。
(明るくて、頭も良くて、それで可愛くて・・・サッパリしてるけど、女らしいし。 オレ、年上好みじゃなかったけど、七緒子さんならいいな。 七緒子さんに比べれば、クラスの女子なんて、ガキだよ!ガキ!!)
しかし魅かれれば魅かれるほど、裕之は不安になっていく。
(・・・これだけ素敵な人だとさ、やっぱ、カレシとかいるよなぁ、きっと。 どんなヤツだろ。・・・もしかして・・・)
裕之の思考は、八神の声で、唐突に断ち切られた。
「あ、もう酒が無いな。えーと、この時間だったら、まだ自販機で買えるかな?」 「えっ!いま何時なの?」
七緒子が驚いて、趣味のいい腕時計に目をやった。
「あらっ。もう十時半過ぎてるんだ。・・・ごめん。 明日、朝から取材が入ってるのよ。今夜はこれで失礼するわ」 「じゃあ、送っていくよ。車出すから」
八神はサイドボードの引き出しから、車のキーを取り出した。
「そんな・・・。悪いわよ。盛り上がってた途中だし。 私なら大丈夫。表通りに出たら、タクシー拾うから」 「だめだめ!最近物騒なんだ。 七緒子に、危ない思いをさせるわけにはいかないよ」
ツキンッと、八神の言葉が裕之の胸に刺さった。
「そう・・・じゃあ、今夜は秀一に甘えちゃおうかな」 「どうぞどうぞ。もっとも飲酒運転だから、安全は保障できないけどね」 「よく言うわ。底なしの癖に」
そう言いながら、七緒子はソファーから立ち上がった。
「じゃあね。田島ちゃん。お先に」 「おぅ!残念だな」
田島は、裕之には見せたことも無いような、屈託のない笑顔を七緒子に向けた。
「七緒子の、某政治家の暴露話、おもしろかったぜ」 「あはは。どっちっかて言うと、悪口雑言ね。 でも田島ちゃんの先週の医学会での裏話よりましでしょ」 「これじゃ、二人して東京湾に浮かぶ日も、近いかもな」 「いやーよ。もうちょっと、キレイな海にしてよ」
裕之が見る限り、七緒子と田島は同性同士の友人のような雰囲気だった。 だが・・・・・・。
「七緒子。そろそろ行こうか?」 「はーい」
八神はさりげなく、コートを七緒子の肩に掛けた。
「ありがとう。秀一」
七緒子が八神に微笑む。 裕之の胸は、また、キュゥーッと締め付けられた。 八神がドアを開 け、二人が部屋を出て行こうとした、その時。
「あっ・・・」
七緒子が急に立ち止まった。
「なに?何か忘れ物?」 「いえ・・・ちょっと。秀一、あのね・・・先に行って、 車出してくれる?すぐに行くから」 「・・・うん?いいよ。わかった」
そうして八神を先に送り出すと、七緒子は、裕之と田島の所へ戻ってきた。 田島が笑顔で問いかける。
「どうしたんだよ。七緒子らしくないぜ」 「うん・・・田島ちゃん。ちょっと・・・ね」
そう言いながら七緒子の目は、裕之を見ている。
「あのね、裕之くん。えーっと、裕之くん・・・その」 「はい?」
らしからぬ様子に、裕之も少し驚いた。 どうも七緒子は裕之に、何かえを伝えたがっているように見える。 しかし、それをどう切り出せば良いのか、考えあぐねている様子だった。
(どうしたんだろう?オレから、なんか言ったほうがいいのかな?)
そう思って裕之は口を開いた。 しかし、先に声を出したのは、田島の方だった。
「おい、七緒子。何か言いたいことがあるのか」 「・・・うん、まぁ。そうなんだけど・・・」
どうやら、話の切り口が見つからないだけではないらしい。 言うべきか、言わざるべきか。それも迷っているようだった。
「なんだよ。なんか心配事でもあるのか?」 「田島ちゃん。裕之くんは・・・」
”パッパーッ!” 表の方で、車のクラクションが鳴った。 八神がなかなか出てこない七緒子を、心配しているらしい。
「ほら。八神が呼んでるぜ」 「わかってるわよ。でもね、裕之くんは・・・」 「俺のことなら、心配無用。 大人なんだから、していい事と、悪い事の区別はついてるさ。 だから、変な心配するなって」 「そうよね。・・・だけど、どうも・・・なんか」
まだためらっている七緒子を、二度目のクラクションが、うながした。
「ほら行けよ。大丈夫。もう同じ事の繰り返しにはならないさ」 「・・・うん!悪かったわ、田島ちゃん。変な心配しちゃって」
その言葉とは裏腹に、七緒子はまだ、迷っているようだった。
「えーと、裕之くん。早く元気になってね」 「あ、・・・はい」 「じゃあ、また来るわ。さようなら。 ・・・そうね、今日はもう、寝たほうがいいかもね」
そう言い残して、七緒子は部屋を出て行った。 ドアのところで、もう一度、振り返って裕之を見つめたが、 結局なにも言わずに出て行った。 表の方から、かすかな話し声と、車のエンジン音が聞こえてくる。 その車の音が遠ざかっていくと、 今度は耳が痛くなるような、静けさがやってきた。
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