#7
居るはずのない八神の姿に、田島は驚いた。
「おまえ・・・なんでここに・・・?」 「そんな事より、今すぐその腕をほどくんだ!かわいそうに・・・」
田島は裕之から手を離すと、のろのろと立ち上がった。
「おまえ、七緒子を送っていったんじゃないのか? 往復2時間はかかるはずだぞ。 いったい・・・・・送っていかなかったのか?」 「その七緒子だよ。彼女が言ったんだ。 『どうも胸騒ぎがするわ。田島ちゃんは絶対、裕之君を誤解してる。 あの人のことだから、放っておいたら何するかわからないわ』 って。 僕はまさかと思って笑っていたんだけど。 戻れ戻れって、あんまり言うもんだから、 通りかかったタクシー止めて七緒子を乗せると、すぐ引き返したんだ。 ・・・しかし、言ってた通りだったとはね。女の勘と言うのか、 さすが七緒子というのか・・・」 「・・・七緒子も余計な事を!」
田島は不機嫌そうに腕を組むと、フイっと横を向いた。
「余計なことって・・・」 「誤解しているのは七緒子の方だ! いや、八神も七緒子も二人して、こいつにだまされてんだよ!!」 「違う!裕之は君が思っているような人間じゃない。 ごくごく普通の高校生だ」 「だから、だまされてるって言ってんだ!! おまえだって、こいつが誰に似てるのか、わかってんだろ!?」 「・・・それは・・・」 「ふん!どうせあの雪の夜の事だって、 こいつが仲間と仕組んだに違いないんだ!」 「あれは偶然じゃないか!裕之は大怪我をしていただろ!?」 「偶然なもんか!状況が似すぎてるんだよっ!!」 「・・・・・・」 「考えてみろよ。 普通の高校生があんな大雪の日、あんな深夜に新宿をうろつくか? それにだ。 なんだってこいつは、いつまでたっても自分の素性を教えないんだ!!」 「別に言いたくないものを、無理に聞くことは無いだろ!?」 「だから!おまえはお人好しだっていうんだ! 言わないんじゃなくて、言えないんだ!こいつはおまえを・・・」
その時、田島の足元で裕之の声がした。
「・・・おっさん。いい加減にしろよ!」
大人二人の言い争う声で、遠のいていた意識がようやく戻ってきたのだ。
「どーでもいいけどさ・・・いつまでこのまんまで放っとくんだよ! さっさとこの腕ほどけよ!!」 「なんだ。まだ生きていたのか。頑丈にできてるもんだな」
田島は冷ややかに見下ろした。しかし、今は八神の手前もある。 しぶしぶ、裕之の腕を縛っていたシャツをほどいた。
「ほらよ。これで・・・」
いいだろう・・・と言うより先に、裕之は身軽に立ち上がり、 脱がされかけたジーンズを元に戻すと、間髪居れず、 田島の腹に蹴りを入れた。
ボスン!と鈍い音がした。
「・・・っぐう!こ、この!!」 「裕之!!」
八神が慌てて、二人の間に割って入った。
「止めないでくれよ!八神さん!こいつ、こいつ・・・」
苦いものが喉に込み上げてきて言葉が詰まる。 頬に冷たいものを感じたと思ったら、 ポタっと音を立てて、涙が床に転がり落ちてきた。
(くそ!なんで泣いてんだよオレ!こんなヤツに泣いてるとこなんて見せんなよ! こいつは、オレを・・・・・)
わけのわからないことを言われ続けた挙句、 まるで物かなんかみたいに易々と扱われた。 自由を奪われて、初めて味わったあの恐怖。 どちらも、自分だけではどうする事もできなかった。それが悔しくて、情けなくて。 こんな所で泣きたくないのに・・・・・・。 涙は止めようとしても、後から後からポロポロと、こぼれ落ちてくる。
「この・・・エロじじい!バカ!変態ヤロウ!死んじまえー!!」
それだけ叫ぶと、裕之は猛烈な勢いでリビングを飛び出した。 バタバタと階段を駆け上がる音と、勢いよく二階のドアの閉まる音が、 家中に響き渡った。
「あんのガキィ〜〜!!」
田島が蹴られた腹に手を当てて、呻いた。
「君が悪いんだろう?あんな酷い事をして・・・。あれじゃ、犯罪じゃないか!?」 「なんだと!あいつだってだましに来てるんだ!お互い様じゃないかっ!!」 「だから!あの子は違う。裕之は本当に普通の高校生だよ!」 「おまえ、まだそんな人の好いことを言ってんのか!?」 「違う!違う!わからないのか?」
八神は大きく首を振った。
「外見に惑わされてるのは、君のほうだ。 たとえ一週間でも一緒に暮らせば、それくらいわかるさ。 君の言ってる、素性を明かさないのだって、もし、僕をだましに来てるんなら、 もっともらしい事を言って、納得させようとするはずじゃないのか?」 「・・・・・・」 「それに!僕はともかく、七緒子をだます事なんてできるわけないだろ?」
八神はちょっと子供っぽく笑った。
「なんたって、七緒子は今まで、あらゆる偽りを暴き出したコラムニストだよ。 ウソか本当か見分ける力は誰よりも確かだろ?」 「・・・・・・ふん!」 「偏見を取り払って、裕之を見てやれよ。 そうしたら、君にもいろんなことがわかってくるはずだよ」
田島はまだ、憮然とした表情でソファーに腰を下ろした。 それを見て、八神はテーブルの上のウィスキーを手に取り、 二つのグラスに注ぎながら、なだめるような声で言った。
「まぁまぁ、もう一杯やろうぜ」 「・・・・・・あぁ」
田島がグラスに手を伸ばした。
「・・・なんで君があんなことをしたのか・・・わかってはいるよ。 いつも・・・心配してくれて、ありがとう・・・」 「・・・それで、おまえは耐えられるのか? あいつと一緒に居て。本当に大丈夫なのか?」 「あの子は、江里佳とは違う・・・と思う」
グラスを手にしたまま、八神は二階の方を見上げた。
「あの子は、今、何をどうしたらいいのかわからなくて、 身動き出来なくなってるんじゃないのかな。 そうなった原因が何なのかは、わからないけど・・・。 きっと必死に答えを探して探して、でも見つからなくて。 もがきすぎて、もう、ほんのわずかな気力すら残ってないんじゃないかな」 「八方塞ってやつか」 「そうそう。だから我々大人は、暖かく見守ってやろうじゃないか?」 「ふん!おまえらしいよ。でもまぁ、おまえがそこまで言うってことは、 それが真実なのかもしれんな・・・わかったよ!」
そう言って、田島はウィスキーを一気に飲み干した。 その表情は、先ほどと違って随分と和らいでいる。 ようやく落ち着いた田島にホッとすると、 八神はもう一度、裕之の居る二階を見上げた。
「裕之なら、きっと答えが見つけられるはず。 ・・・そうしたら、自分から扉を開けて出て行くさ」
田島がふと見ると、八神はここ何年も見せたことがないような、 穏やかな笑みを浮かべていた。
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