#8
階段を昇っていると、下のリビングの方から、 柱時計の鐘の音が、ボーンボーンと二つ聞こえてきた。
(夜中の二時か・・・)
本当はすぐにでも裕之の様子を見に行きたかった。 しかし、あの状態では話になるかどうか・・・。 少し時間を置いて、落ち着いてからの方がいいように思えたし、 田島の誤解を解くために、ここはじっくり話合う必要も感じていた。 それで気が付くと、こんな時間になっていたのだ。
(結局、田島と二時間近く話し込んでしまったな・・・)
ふっと、八神の顔に笑いが浮かぶ。 去り際の、田島の様子を思い出したのだ。
『おい!あのガキ・・・じゃない、あいつの額の傷、 酷いようだったら、これを塗っといてやれ!』
そう言ってカバンの中をゴソゴソかき回していたかと思うと、 ポンと、塗り薬を投げてよこした。
『それと・・・だ。いいか!あいつを来週、俺の病院へ連れて来い!』 『病院?なんで?』 『かなり激しく頭を打ったようだからな。・・・あとで恨まれてはかなわん。 ありがたくも、俺の病院で検査してやろうーってんだ!』 『ありがとう。ちゃんと連れて行くよ』
照れくさいのか、拗ねた様な顔をして田島は帰っていった。
(まーったく。いつまでもガキ大将だな。あいつは)
そんなことを思いながら八神は二階へ向かった。
二階は二十畳はあるただっ広いアトリエと、それに続く八神の寝室。 それにちょっとしたユニットバスで成り立っている。 裕之はそのアトリエで寝泊りしていた。 最初は一階の客室を用意していたのだが、ケガの具合や容態が心配になった八神は、 できるだけ近くで様子を見られるようにと、取りやめたのだ。 そこでアトリエの西側の窓のあたりを衝立で囲み、そこへベッドを入れた。 他にもケガをしている裕之が、出来るだけ快適に過ごせるようにと、 必要と思われるものは、すべて用意されていた。
アトリエに続くドアの前まで来ると、 八神はとりあえず、ドアの向こうの気配を探ってみた。 が、裕之が居るはずのアトリエからは、物音一つ聞こえてこない。 田島と話していても気になって、時々二階の方へ注意は払っていたのだが・・・・・・。
(どうしたんだろう・・・。やっぱり、もっと早く見に来ればよかったかな)
八神はそーっと、ドアを開けた。 月明かりが窓一杯に、アトリエに降り注いでいる。 そのせいで、イーゼルやパレットやキャンバスが青白く浮き上がっている。 何だか作り物の空間に入り込んでしまった様な、気持ちになった。 しかし、今は幻想的な雰囲気に浸っていられる場合ではない。 八神は衝立の向こう側へ、静かに声をかけた。
「裕之・・・・・・」
返事はない。相変わらず静まり返っている。
「裕之・・・・・・?」
八神は足音を立てないよう衝立に近づくと、中を覗き込んだ。
裕之はベッドの上で、頭まですっぽりと毛布を被り、 横向きに丸くなっていた。
(よかった。ちゃんと居て・・・・・・)
そこに裕之が居ることに安心しかけたその時。 その毛布が全く動いていないように見えて、八神の全身は凍りついたように強張った。 ”頭を強く打った” という、田島の言葉が耳に蘇ってくる。 八神は慌てて毛布をめくった。
──スースー。 と、いかにも心地良さそうな寝息が、耳に飛び込んでくる。
(・・・はぁ〜。なんだ。眠っているのか・・・)
少し迷ったが、とりあえず声をかけてみた。
「おい。裕之。大丈夫か?」 「・・・・・ふにゃ・・・ふに・・・」
わけのわからない返事が返ってきた。目覚める気配はない。 どうも完璧に熟睡しているようだった。
(な〜んだ。以外にタフなんだな。まさか眠っているとは思わなかった。 心配したぞ。コラ!)
苦笑いが浮かぶ。 とにかく一安心したところで、毛布を翔け直してやろうと手に取った。 しかし、なにげに見た裕之の横顔に八神の目は釘付けになってしまった。
|